ようやく父も家に帰れた。
8日朝危篤の報を受け、急ぎ帰広したが、実際には朝こときれていた。しかし家族が立ち会うまで息を引き取ったことにしないのが習わしらしい。兄の時もそうだったようだ。
父は、虫が知らせたのか、前日もあちこちに電話していた。私や母の入所先や親戚、かかりつけ医やケアマネージャー迄。ただ最後の数日は頭が混乱している様子で、父自身や、母や私がどういう状況なのかを電話口で何度も説明した。
腎不全に心不全の死は、肺に水がたまり「陸に居ながら溺れ死ぬ」ようなものだとの主治医の例えは、酷でとても父には聞かせられなかった。また肺に見つかった癌も進行を調べる検査自体がリスクだし、判ったところでなす術はないので、やはり知らせなかった。
救いは、駆けつけたときの、今にも目を覚ましそうな寝顔が、まるで眠るように逝ったような穏やかな表情だったこと。
通夜に駆けつけ、父の名前を何度も何度も呼ぶ棺の前の母の姿に今も胸がつまる。
本当にお疲れさまでした。安らかにお眠り下さい。
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