いんでわずらえ





お気づきの通り、私の関心空間はおおよそ躁病相の所産といっていい



ところが8月末から急転直下、約10年前の発病時以来の大沈殿

カイシャも休みがちになり、主治医からは久々に休職も打診された



「もういい、休んじまえ」という声

躁転時ならともかく「ここで休んだらもうオシマイ」な予感

首の皮1枚で踏みとどまる



伝家の宝刀「リチウム電池」は、腎臓への副作用で使用中止

予兆は、7/97/24頃からか



通院も今までと違い毎週、

代替の安定剤役を期待し、統合失調症用の各種向精神薬に変えては様子見、

量を増やしては効果を窺うも変化なし



当然、週末は完全引きこもり・・・

思い起こし悔やむのは、躁病相時に浮かれ、しでかしたアレコレ、

その時には自覚があるつもりでも、振り返ればないのだから始末に負えぬ

毎度のこととはいえ



私が失ってきたこの10年は決して小さなものではなく、

後悔と劣等感に苛まれ、時として絶望にすら至る

死を宣告されたわけでもないのに



私の場合、躁でも鬱でもない「安定期」を得られない

「自分らしさ」といものがあるとすれば、それを取り戻せない訳だ

落ち込みながら、攻撃的になるといった「混合期」はあっても



ついに主治医は(躁転を怖れ)封じてた各種抗鬱剤の再開に踏み切り、

最悪の状態は脱してきたのかも、と思えるようになった



例えば、こんな光景に出合ったとする

「逆光の朝日でまっ黄色に透かされた銀杏の葉」

・・・何も感じない

とはいえ、以前はそれにさえ気づかなかった訳だから改善か



HDDレコーダーに溜め込んでいた番組も観つくし、

しかたないので散歩がてら、レンタル漁りにTSUTAYAへ行くまでには回復

その後また家に耽るのは変わらないけど



それにしても地元のしけた店には、なかなか面白い在庫がないのは痛い、

が想像力を必要とする本と違い、完全受け身でも「その時間だけ」は我を忘れさせてくれる

それが刹那の救い



永遠の救いがやってくるまでは



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往んで患え!



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「もうオウチにお帰りになり、病が辛いでしょうから床についてお休みくださいませ」

とでもいったとこであろうか、実に相手のことを慮った悪態である



西の出身で、ある程度年齢のいった方なら聞き覚えがあるのではないかしらん



家人が子供の頃、正月恒例の「花札大会」でみな熱くなってくると、

花札をきりながら、この「コトバ」とともにマッチ棒が飛び交ったという(笑)

ぱぴぷぺ_ぽきぷし通信 日記

過去関心 Poughkeepsie の日記(バスケ式)

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