悲泣せよ



釈迦如来かくれましまして



二千余年になりまたふ



正像の二時はおはりにき



如来の遺弟非泣せよ



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釈迦が入滅されて二千余年にもなってしまった。



正法・像法の時代は終わってしまった。



末法の世に生まれた如来の弟子たちよ、悲泣すべきである。



- 歎異抄 -





3万もの人が自らの命を絶つという、ここ7年連続のことだ。



「もし親鸞が今の時代に生きていて、この自殺の多い、犯罪の多い、子供たちの荒れている現状をどう思われますかと問われたらとすると、どうこうするよりあなたはそういう時代に、声を上げて泣くというような優しさがありありましたかと逆に問われるのではないでしょうか」



「悲しむとか泣くとかいうことを戦後は、非常にみっともないこととして避けてきたけれどもそうではない。ギリシャの悲劇でいうカタルシスのように涙で魂を浄化するのです。やたらべたべたしろということではなくて、正しく悲泣する心というものをもう一度取り戻すことが先決だと思うのですが」

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「心が乾けば命が軽くなる」 五木寛之 日経05.6.3夕刊より 





さて、はたして私は「正しく悲泣」できるのだろうか。



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五木寛之・講演

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